馬は嘘をつかない。だから、身体が変わる── 古武術家・方条遼雨 × 三陸駒舎「馬と身体合宿」、岩手2泊3日の参加者レポート

レポート

「馬なのか人なのか、わからない感じになっていくんですよ」──合宿に第一回から参加しているおけいさんと、企画者のあおいえりかさん。この合宿をよく知る二人が、岩手の三日間で起きたことを語り合った記録。古武術家・方条遼雨と三陸駒舎による「馬と身体合宿」の、内側の話。


同じ屋根の下に、馬がいる

岩手県釜石市の山間に、築百年を超える南部曲り家がある。三陸駒舎の拠点だ。この建物の特徴は、人間の居住空間と馬の部屋がつながった一棟の中に収まっていることにある。土間を介して、すぐそこに馬がいる。同じ屋根の下で、人間と馬が暮らしている。

こうした構造の建物は、日本でも岩手にしか残っていない。「曲り家」と呼ばれる南部地方固有の伝統建築で、かつては農耕馬と家族が文字通り一体となって冬を越すために生まれた形だ。三陸駒舎はその古民家を手入れし、今もその暮らしを続けている。

合宿合宿に参加したおけいさんは、この空間に足を踏み入れたときの感覚をこう語った。

「外からお客さんとして入るんじゃなくて、最初から仲間として受け入れてもらえる感じがするんです。初めて会う人たちもいるのに、不思議と群れになっていく。」

「群れ」という言葉が、おけいさんの口から自然に出てきた。これは偶然ではないと、僕たちは思っている。


馬の群れには、ボスがいない

馬は群れで暮らす動物だが、その群れの構造は、多くの人が想像するものとは異なる。

おけいさんは猿との比較でそれを説明してくれた。

「猿はボスザルがいて、全部そこから指示が出て、みんなが従って群れができる。でも馬は、リーダーが瞬間で変わるんです。固定されたリーダーが生まれない。その瞬間に必要な能力を持っている人が、パッと先頭に立つ。またすぐ次の瞬間には、違う人がリーダーになる。」

馬の群れには固定された支配者がいない。状況に応じて、そのとき最も適切な個体が自然と先頭に立ち、必要がなくなればまた群れに戻る。権力の固定ではなく、能力の流動。これが馬の群れの本質的な構造だ。

そしてこれが、合宿という場でも起きていた、とおけいさんは言う。

「きびはらさんが全部指示を出しているわけでもなく、その人その人の得意なことが自然に現れてくる感じで。」

合宿の初日、駅から迎えに来たメンバーが道を間違えた。迷子になりかけた瞬間、道を知っている人がさっと先頭に変わった。誰も責めず、「何やってんだよ」という空気もなく、「すいません。じゃあよろしく」でスッと流れていった。えりかさんはその瞬間を振り返って言った。

「パスが早いんですよね。知っている人にちゃんと手放せる感じ。わかっている人が『じゃあ行くよ』ってもう行っちゃって、みんなは『あはい』みたいな感じで。ハプニングが起きているのに、慌てた空気が全然なかった。」

この「流動するリーダーシップ」は、三陸駒舎が意図してデザインしているわけではない。馬と共に暮らす場に身を置くと、自然とそういう動き方が生まれてくる。それが、この合宿の核心にある体験の一つだ。


意気込んじゃ、だめ

合宿のプログラムは、あらかじめ決まった内容を順番に消化していくものではない。その日の人間の状態、馬の状態、場の空気を見ながら、内容が変わっていく。

おけいさんが印象に残っていると話したのは、最終日のことだった。

「馬と触れ合うプログラムが直前で変わったんですよ。その場の人間の雰囲気と馬の雰囲気に合わせて内容が変わっていって。きびはらさんが誰よりも敏感に、その変化を見ていたんだと思います。」

最終日、参加者たちは裸馬に乗った。鞍なし、手綱なしで、馬の背に直接乗る。通常の乗馬クラブでは、初心者にまずさせないことだ。しかし、その日の参加者たちはそれができた。

「普通はしませんよ、乗馬クラブでは。でも馬も嫌がらなかったし、暴れもしなかった。安心した空気が流れていたから、あれができたんだと思います。」

なぜそうなったのか。方条さんの稽古を毎日重ね、馬と毎日ふれあい、数日間を群れの中で過ごすうちに、参加者たちの体が緩んでいった。そして馬は、その緩みを即座に感じ取る。馬は人間の内側の状態を映す鏡だ。体が緩んでいれば馬も応じる。緊張していれば馬も緊張する。

だから、意気込むと逆効果になる。

「意気込んじゃだめ(笑)。群れの中に溶けていく感じ。馬なのか人なのかわからない感じに、なっていくんですよ。」

えりかさんも、自分自身の変化を打ち明けてくれた。過去にお馬さんに対して怖いと思う体験があり、最初は自分からそれを説明しないと落ち着かない、という感覚があった。

「でも終わる頃にはあまり気にならなくなっていて。コーチングをしている立場で言葉を探すと、ブレーキを外すというのでもなく、気がついたらあれ、進んでるぞ、みたいなところに行けちゃう感じ。環境って、すごく影響してくれるんだなって。」

何かをやらせようとする力がない場所で、何かが動き始める。それがこの合宿の不思議さだ。


頑張らなくていい場所

三陸駒舎には、放課後等デイサービスや児童発達支援の現場がある。毎日、馬や自然と共に過ごす子どもたちがいる。その延長線上に、この合宿がある。

「いつでも、おいで」と待っている場所。指示や評価がない空間。子どもたちに対してそうであるように、大人に対しても同じ在り方でいる。おけいさんはそれを体で感じたようだった。

「やってもいいし、やらなくてもいい。しんどかったら休んでいればいい、みたいなのが自然にある場所で。でも自分勝手に、というわけでもなくて、周りが『ああ、休むんだね』と受け取ってくれる感じがある。」

えりかさんはその感覚を「おばあちゃんちにいる感じ」と表現した。おけいさんもすぐに同意した。

「田舎に帰ってきました、という感じ。」

おばあちゃんち、という言葉は言い得て妙だと思う。無条件に受け入れられているのに、自然と手伝いたくなる。お皿を洗いに行ったり、片付けに入ったりが、誰かに言われるでもなく起きていく。えりかさんが「やらせようがないのに、そうなる」と言ったのは、まさにその感覚だ。

受け入れる側が前のめりになっていない。それが、この場の根幹にある。


かまどのご飯と、馬のリズム

合宿の食事は、南部鉄器の釜で、もみ殻を燃料にして炊く。この釜は、岩手の職人が昔の形を復元して作ったもので、現在ほとんど流通していない。

おけいさんは岩手出身で、子どもの頃の家に同じかまどがあった。

「それで育ってしまったもので、普通のご飯が食べられない体になってしまって(笑)。久しぶりにあれを食べて、『これが米だ』という感動でした。」

普段は朝ごはんを食べない人が、もりもり食べてしまう。いっぱい食べても苦しくならない。おかわりが止まらない。参加者の多くがそう言う。岩手の昔からの食材と調理法で作られた食事は、派手さはないが、体に染み込んでいく。

食事の時間は、馬のリズムで決まる。朝・昼・夕方、馬のご飯の時間が先にあって、その後に人間が食べる。

「馬がまずご飯を食べてから、人間のご飯ですよね。」

「そう。それはもう自然にそうなっていて、『譲る』とかそういうことじゃなくて。」

馬のサイクルに合わせて体が動く。それだけで、ずいぶん健康的な三日間になる。えりかさんは馬がむしゃむしゃと草を食べる様子を見ているうちに、自分のお腹もすいてくると笑って話してくれた。命のリズムが、場全体に流れている。


たどり着いた集落に、世界にここだけの景色がある

三陸駒舎へのアクセスは、決して便利ではない。新幹線の最寄り駅からも車で一時間以上かかる。峠を越え、電波が途切れながら山道を進む。

それでも、たどり着いた先にある景色は、他では見られないものだ。

「集落の隣には普通に民家があって、真ん中に馬が放たれて一緒に生活している景色が見える。これは世界にそこだけかもしれない景色で。」

大きな牧場に多くの馬が管理されている、というものではない。数頭の馬が、人間と同じ一棟の建物の中で暮らしている。その距離感と一体感は、ここにしかない。

おけいさんは、関西在住で遠方だ。それでも「また行く」と決めるのに迷いはないという。ただし、そのテンションはこんな感じだと笑う。

「ものすごいテンションで『わー行きたい!』でもなくて、『あ、行く行く』みたいな感じになれる場所で(笑)。」

特別なことをしに行く、という感じではない。でも、確かに戻ってくる場所になっている。それがこの合宿の、静かな力だと思っている。


5月の合宿へ

次回は2026年5月16日(土)〜18日(月)、岩手県釜石市の三陸駒舎にて開催する。田植えが始まり、桜が終わってツツジが山を覆う季節だ。おけいさんが「あの時期の空気が好きです」と言っていた、新緑の岩手の三日間。

遠方の方は、移動費が気になる場合も多いと思う。参加費の分割相談、お手伝い条件での参加など、状況に合わせて一緒に考えることができる。まずは「行きたい」という一言を届けてほしい。

→ 詳細・お申し込み

馬と身体合宿 参加者インタビュー:おけいさん
インタビュー:あおいえりか(馬と身体合宿 企画者)
文:きびはらゆたか

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